ローリン、ローリン
すぐにめんどくさくなって書かなくなっちゃうけど
やる気のあるウチにポスト増やして皆が読んでくれたら
ちょっと違う音楽の話のネタにもなると思う。
そんなわけで今回は
"なんであの車が横スベリしたりターンして煙りもうもうになるとイカスのか"
つまり、ドリフト、です。
ほんと好きだよね、ドリフト。まーじで世界規模のイベントだもん。 ストリートモーターカルチャーはドリフトでいいんじゃないか?って思うし
ドリフト否定すると、一気に「コイツ根性なし」っていうレッテルも凄いw
ぼくですか?は?第一世代ですよw
で、アメリカのMVってめっちゃ車ありきのつくりなのに、このドリフトシーンってすっごく少ないと思いません?もっと、こう街を流す、じと〜〜っとしたスピードで転がしていく感じ。
何故かというと、ドリフトって日本発祥のカルチャーだからです。
アメリカからするとドリフトはサブカル、輸入された”理解できないヤバミ”のストリートカルチャーだから正直取り入れにくい、取り入れるとサブカル前提になる、というわけです。
ここポイントです。アメリカだと、サブカルなんです。
というわけで、最近1番目にするドリフトってコレだと思う。
Sampa The Great - OMG (Official Video)
ここではダーバン発祥の南アフリカGqomシーンの説明は割愛します、もう散々イギリス人が夢中になって取り上げてるしそこじゃないから、書きたいのはw というわけで、南アフリカ大好き故に、NINJATUNEからREDBULLのサポートで作ったMVにはほぼドーナツターンとスタントが軸になってます。 駐車場でひたすらグルグルするのを彼らはSPINNINGって言ってて基本この国におけるドリフトはこのスピニングを軸に展開するスタント競技です。
しかも、南アフリカのユースカルチャーと、このほぼスタント的ドリフトには実は日本人の影響とアメリカからのサブカル発信が絶大なのです。
もう1本MVをあげて置きます
LV and Okmalumkoolkat: Sebenza ( Hyperdub July 2012)
HyperdubのボスKODE9はJUKEやGqomの持ってる熱量に惚れ込んで世界中に広めた貢献者だと思う。思ってる。思ってるぞ!w けどここではそれは一先ず横において、やっぱよくわかんない空き地でグルグルスタント競技をやっているのが見れます。
このドリフト、そも、なに始まりって思いません?
ドリフトっていいだしたのはドリフトキングakaドリキンこと土屋圭市が広めました。
広めましたっていうかイニシャルDと一緒で要は彼もストリートレーサーの1人だったのです。
1980年代初頭、いわゆる峠から下る(かっこよくいえばダウンヒル)ラリーのノリで小さい排気量の日本車が転がるように横スベリしながら速く駆け抜ける違法行為(違法ですよw)に当時の若者は夢中になってました。その時の彼のマシンはKP61スターレット。
お母さんが乗りそうな自家用車を70馬力までチューニングして下り最強を誇ったわけです。
何故か、それは車重700キロという超軽量が有利だったんですね、で、当時ドリキンの頭はパンチパーマw 確かハコスカ時代はアフロヘアだったはず。
70年代にクソガキだった土屋氏は白のツナギにパンチパーマで正統派昭和の暴走族スタイル、笑っちゃいますがこの時はこれがBAD HOPのように格好良かったのです。
このドリキンは面白い事にプロレーサーになってお茶の間に登場するようになるとドリフト走行をちゃんとしたレース競技の中の技術の1つであるとすると同時にドリフトインプレッションで当時のメーカーが出すスポーツカーを紹介するという商法を編み出したのでした。もう笑いますよ。
で、それを収録したVHSや特集された雑誌は鬼のように売れて、昭和45〜55年生まれのクソガキ共のハートを鷲づかみにしたのです。パンチの不良はレーサーの鏡になったのだ。
つまりメディアを駆使する不良の第一人者ともいえます、なので彼はyoutube以前にホームページで動画公開も非常に早くから展開していました。頭が良い不良だったわけです。
そんなこんなで90年代はストリートからアマチュアレースに発展していく中、それが不良の遊びから97年にとうとう圧倒的事件が起こります。プレイステーションでグランツーリズモが発売されたのです、これはどえらい事件でした。ちょっと入店しにくいゲーセンのリッジレーサーやセガラリーを凌ぐ圧倒的再現度を家庭用で再現したこのソフトに全世界のクソガキがはまったと確信してますw
そして、不良、サブカル、弱冠オタクぽいこのカルチャーはゲームを軸にアメリカで瞬く間に拡がって日本でいうところの後にも先にも最も「クールなジャパンカルチャー」を輸出したのです。
そして2000年になるとD1グランプリという全日本プロドリフト選手権が始まってなんとプロレースカテゴリーにまでなり、そうなると止まらず2004年からアメリカでフォーミュラDとよばれるドリフト選手権が始まってアメリカ全土でドリフト=「ジャパニーズ・チューニングカー」として大いに話題になりスポコン(スポーツコンパクト)という言葉もうまれたのです。
相変わらずパワー一辺倒なアメリカは小さい車にいつもしてやられるところ、学びがなくて好き。
さて、そうなるとカルチャーは燃え広がり金字塔的映画が作られます、そう、アレ。
”ワイルドスピード”です。
このシリーズ、例外なく日本でも大ヒット、そして全世界でも大ヒット。
めっちゃくちゃスープラやワンエイティって言葉が広まって、一気にみんなyoutubeやDVDやゲームを買いあさります、え?車を買わないのって?
これがほんとうに超絶広まったんだけど10年と保たずにツブされることになる。 何でかっていうとアメリカにはそもそも独自のストリートレース”ドラッグレース”があってそのシマをね、荒らされたらさ、どうなるかってこと。 アメリカングラフィティとか、そういう映画でみる風景、あの、よーいどん!ってヤツ。
あれがストリートレースの、そしてギャング達の収入源だったところに、高性能、軽い、それでいてめっちゃ馬力は鬼。セクシーにケツふって煙り立てるジャパニーズチューンは憎い。
憎いアンチクショウは地元の抗争や警察によって尽くツブされたのです。
さて、ストリートはそんな流れだけど公式レースは2017年に国際自動車連盟(FIA)が国際レースとしての統一を図ろうとしているがその後は正直しょぼくれてる、これを希望に沢山のドライバーやメーカーがアメリカにいったが殆どが撤退した。さぁ、どうなる。
だがアメリカからの発信は全世界へと届く恐ろしさがある。
この映画のシリーズ3(2006)で、実は既にとんでもない方向へと導いていた。
Tokyo Drift - Teriyaki Boyz [ MUSIC VIDEO ] HD
ワイルドスピードも3作目はとうとう日本上陸!である。
「非合法の遊び」の憧れとゲームと共に輸入された「頭文字(イニシャル)D」「湾岸ミッドナイト」が実際にあった国だ。そしてエクストリーム感ある映画につきもののハードなミクスチャーロックはこんなテーマソングで一気にクール、まさにクールジャパンとなる。
2006年には、日米での「ジャパニーズ・チューニングカー」ブームはかなり下降していた。にもかかわらず、東京を作品の舞台としたのは、東京というキーワードを使うことで、日本のクルマへの憧れが強い、東南アジア、イギリス、香港、アフリカ、ロシアなど北米市場以外での興行収益アップを狙うという製作者側の明確な意図があったからだ。
さて、これが世界に飛び火する前に気になったので抑えておきたい。
Teriyaki Boyzである、ご存じ(B)APE SOUNDSから発生した複合型グループで、当然この「非合法なわくわく感」の波にのって裏原ブランドを制したBAPEの活躍はみんな知っているし、ファーストアルバムがダフトパンクだったのも覚えているだろう。
このビートセンスがやっぱりキーポイントになっていると思う。あと、BOYZ、ね。
で、喰えなくなった日本人ドライバーやメーカーはすごすごとアメリカから2010年を境目に族族と撤退するのですが、面白いですね。アメリカでは流行れなくなったドリフトが世界でまたストリートを席巻するわけです。流行らないではなく、流行れなかったのがミソでもあるw
そう、アメリカのコピー、まねごとではなく、俺らの非合法遊び、となったわけです。
もうもうと煙りを上げて横スベリは当然サウジアラビアや南アフリカで鬼のように流行ります。
サウジドリフトって2008年頃に一時期有名になったし2012年のM.I.AのMVでもあるよね。
M.I.A. - Bad Girls (Official Music Video)
サウジは兎に角直線番長でドリフト。直ドリってやつです、200キロ前後のスピードが出る上に砂漠の砂地がかんで吹っ飛ぶほど滑る。そして事故、とにかく事故。
でもサウジの男の子はこれに夢中になるわけだ。
さて、南アフリカではどうなったかというと
なんと2010年アメリカ撤退きっかけなのかしら、なんと日本人がドリフトスクールを開くほどの大盛り上がりで(TEAM ORANGEさんが主催だったと聞きます)REDBULLもUSドリフトが下降線だったなかでUKからの情報を聞きつけてサポートしはじめます。
その、"REDBULLもUKからの情報を”が、そう!勘のいい人は気がついた!
LVのMV撮影でリアルな「非合法ストリートカルチャー」を切り取った、アレなのです。
そしてまたqgomには音楽だけでなく大きなカルチャーへの変化へのシフトチェンジがあります。
そもそも現行の南アフリカ現代ダンスジャンルであるKwaitoからGqomへ移行していったのは80年代レゲエがヨハネスブルグを中心に流行ったときから、その音楽のビートや質は変化していっても文化的側面では、女性アーティストの成功が少なく、男性優位であることについては不満があった。
それにセックスリリックやダンスなどが商業主義的でつまらないという壁にもあたってた。
そんな中で、ストリートカルチャーでは親のぼっこぼこの車でサーキットも峠もないヨハネスブルグの駐車場に集まり、当てずっぽうにドリフトやドーナツターン、とにかく派手なスキール音とタイヤを燃やすことが流行った。
そしてUS HIPHOPをガンガンに鳴らしながら自分達の街を語るというヒップホップマナーとKwaitoからのハウスの強い影響で現在のGqom、爆誕である。
そして2012年頃には空き地の駐車場を名をつけたサーキットとして競技としてのSpinningが始まる。
彼らだけの独特の「非合法の遊び」を商業にたたきつけたわけである。
平素のフラストレーションを爆発するユースカルチャーはどこまでも魅了し、延焼する。
そしてGqomの局所的な流行が世界中で広まった頃に、いままで南アフリカではなかった女の子のドライバーが席巻するようになる。
South Africa’s growing craze for ‘spinning’
どのレースでもそうだが、基本サーキット、競技場の中では免許はいらない。
なかには8歳や10歳のドライバーもいるそうだ、彼女は17歳でこれを始めそしてトップに君臨した。
彼女のお得意技は、"SUISIDE SLIDE" 箱乗りから半身をドアにひっかけ、逆づりになるのだ。
そして、いまやこの遊びは合法化され競技となったのです。
80年代、日本の暴走族が街から離れ峠や港で始めたエクストリーム非合法な遊びが、90年代にアメリカに渡り、そしてアメリカではツブされたがその後、それはエクストリームジムカーナへと流れた。市民権を得ながらも、非合法への憧れや反抗心はフィルムやゲーム、漫画となって世界中にとびちり、いまは南アフリカで女の子がハンドルを握る。
南アフリカユースカルチャーの誇りなのだ。