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ホンモノか、ニセモノか、もしくはレプリカか。

  • ELI
  • 2019年8月7日
  • 読了時間: 9分

久々のブログがこれってどうなんだろ。

けど書いてみたいなってずっと思ってたのでいっか。

さて、PVやMVってブランド服や車で溢れてますよね、溢れてない? いや日本のMVは逆によくもこの部分を避けて通れてるねっていう器用さを感じるけど

こと海外では車、服、金、女、夏、クラブ、ナンパ、思い出!みたいな感じしません?

で、特にHIPHOPやR&BのPVは絶対的に”車”がでてきます。

特にアメリカでは避けて通れません。

それだけ車におけるアイデンティティが超強いってことと

車なくちゃ生きていけない程の広大な土地、インフラの適当さ、そして逆に車で生きる人がめっちゃ多いとも言えます(キャンピングカーで生きる人はめっちゃいる)

というわけで突如そんなこんなで自分の為にもメモとして単純に車の紹介しつつ

何故コレが使われているかを考察します。

じゃ、それの第一回はなんだといえば、はいこれ!!!!!!!!!!!

PORSCHE 356A SPEEDSTER↓

これ、めっちゃ見たこと無いですか?

結構どころか、個人的にはランボルギーニやリンカーンより目に付きます。

というより、自分がこの類の車の仕事をしているので否が応でも目に入る。

だがこの車、めっちゃ高額なんです、正直普通にスーパーカー使ったほうが安い! けどこの車のバックストーリーがアメリカ人の心を鷲づかみにするので非常に登場するわけです。

で、当然ながら”ホンモノ”と”ニセモノ”と”レプリカ”のある世界がクラシックカー

この定義は、ホンモノを実車とするとニセモノがポルシェ社のライセンスを取っていないもの、レプリカが、ライセンスされた正式なニセモノ、と大変ややこしいことになってます。

でもね、しょうがないの。だってホンモノは"平均2500万円"くらいだから。

で、上見ると天井ないから。ないんです。

なので色々撮影の事故もあるし保険自体が鬼の高額なのでレプリカつかって当然。

で、このレプリカも、めっちゃ色んなメーカーが出してます。

さて、細かい話は後にして使われてるPVをみよっか。

最近だと

KOHHの「まーしょーがない」

いいんだよ、それを選んでくれたのは。場所柄お似合い。気持ちも分かる。

けど、この車輌この手のクラシックカー専門レンタカーの有名な車両。

なのでめっちゃ使われてます、ちょっと残念だぜ。。。。お値段はこの程度だと400万くらいかな。

まぁアメリカでもこの類のタマ数減ったと思うけどリッチマンなままで居て欲しかったな。

そんで最新は

Machine Gun Kelly の最新で、「el Diablo」

これはね、めっちゃ頑張ったと思う。

ドアップしつつ要所はちゃんと、つまり明らかにすぐにレプリカってわかるとこは消してる。 けど、キャッチ画像(アイキャッチの静止画像)ここでレプリカってわかっちゃうから残念。

でも、MGK側はあえてちゃんと”にせもの”である事をディティールとして見てるのも理解できる。

お値段もKOHH君のと変わんないね、けっこうヨレてるし。

これ、タイトル"el Diablo"ってありますよね。スペイン語で”悪魔”ですよね。

普通ディアブロっていうと、ランボルギーニ、ってなるけど

なぜディアブロってタイトルで旧いポルシェをつかうのかって話ですよね。

これ、ちゃんと元ネタがあります。

それはまた後で。

もっとド直球といえば

Nelly - Hey Porsche

コレ彼自身の車だそうで、めっちゃ不良仕様のOUTLOWなスピードスターは振り切ったレプリカ。

この曲の最後にかかる曲が次のシングルでそのPVではフェラーリ乗ってますw

お気づきかもしれないけど、ほんと砂漠地帯のハイウェイにポルシェは似合う。

コレは結構好みがわかれちゃうカスタムだけど、普通に楽しそう。500万とするか。

そろそろホンモノって使われるんかいってなるよね。

あるんですけど、ちょっと変則です。

Janet Jackson - You Want This

間違いなく、黒いのがポルシェ。間違いないんですけどスピードスターじゃない。

これは1965年のポルシェCをスピードスターにコンバートした”ニセモノ”のスピードスター。

すっごくややこしいけど、当時もコレが出たとき(2006年)にマジかよ流石ジャネットとか思ったけど、ビバリーヒルズの車屋が種明かしして割と出来の良さに話題になってましたw

こちらは中味が356Cだけど見てくれはSPEEDSTER。大変都合が良いしこんな大物のPVにもつかわれたので1600万としましょう。え?イキナリ高い?だってポルシェだもん(言い切る)

でも・・・・・・

それくらいホンモノってナカナカPVでは使えないんだよ。

でも何故アメリカ人はポルシェの、356の、スピードスターに拘るか、それはですね。。。。

はい、この人わかります?映画好きならすぐにわかる、ジェームズディーンです。

かれの愛称は”ジミー”ここではジミーで話します。

ジミーは1954年に新車でポルシェ356preA SPEEDSTERを購入します。

その時にチームメイトになった親友ブラッカーと、いつかはポルシェディーラーを持つことを夢みたほどポルシェに入れ込んでいました。理由は既に草レースをMGで(イギリス車)楽しんでいた時に、この最新のポルシェが余りに早くて一目惚れをしたんですね、当然です。 何故ならこのスピードスターはアメリカ人がポルシェに要求して作らせたモデルなのです。

ポルシェは1948年からポルシェを手作りながら量産をめざし、レースで結果を重ねて相当のアメリカ人のファンを獲得していたなかで、1952年から参戦したハイウェイ&公道ブッチギリ異常レース、「カレラパナメリカーナ・メヒコ」でブッチギリのクラス優勝を果たします。

このレース、ほんと当時すごく超絶熱狂的に人気が出たので死人続出のまじでデッドレースだったんですが、1番のポイントはメヒコという名の通り北米大陸から南米大陸まで縦貫するパンアメリカン・ハイウェイの、メキシコ区間の完成を記念して開催されたのが始まり。そこに北米からアメリカン・クーペ達がメキシコ市街を激走して民家につっこむなど、とにかく破天荒でハードなレースに若者は熱狂するんですね。 いつだって、やっぱエクストリームな事に夢中になるもんです。

そして、なんだか北米が幅をきかすのって、カチンとはなるよね。

で、ここにプロモーションとしてフェラーリやメルセデス、そしてポルシェがワークスドライバーを引き連れて参戦するわけですよ、注目度も高く命知らずの栄光を求める時代、しかも当時そのほとんどが軍事独裁政権であったラテンアメリカ諸国の国威発揚の場としても利用され、アルゼンチンのフアン・ペロンは、1953年のレースに前年に亡くなったファーストレディのエバ・ペロンの顔をボンネットに描いたポルシェを参戦させたり、ドミニカ共和国の独裁者ラファエル・トルヒーヨは、自らのポケットマネーを投じて購入したスペインの名車ペガソを走らせる、とかとか。 レース参加車を自らの広告塔になった、そんな時代です。

で、すいません、全然続きますよ。

当時はパッカードやオズモービルなど大型のアメリカンクーペが幅を効かすなか、僅か1.6Lの”反逆者”が参戦。つまりレースに勝って北米にヒト泡を吹かせて自慢の車を売りたいという夢をもったメーカーが優勝するのです。それが1953年、PORSCHE 550 "el Diablo"なのです。

レーサーもポルシェは南米出身のレーサーを起用します。

それがのちにゴンザレス兄弟といわれフェラーリのF1開発へ貢献したカルロスゴンザレスとホセ・サラ・エラルテというグアテマラ出身者を起用します。

大型の車をすり抜けて、まるでネズミのようだと言われた”低い車体”と”強いエンジン”に当時のアメリカの若い世代は夢中になるのは当然。いつだって若い子は反体制がクールだからね。

そう、敗戦国から8〜9年足らずでアメリカのレーシンククーペを脅かした高性能のポルシェは瞬く間にアメリカでディーラーを増やし、みな、なんとしてもポルシェを手に入れたくなったわけです。

でも、当時550は数億と言われ手には入れにくい、だがクーペやオープンカーも手作り量産だから需要には間に合わない、モット安くって、軽くって何にも付いてないオープンカーを作って欲しい。

それがSPEEDSTER。2人乗りの最低限の装備しかない”若い人のための”ポルシェが爆誕したわけです

さて、既に映画で成功したジミーとブラッカーは早速手に入れたスピードスターを夢中になって乗り回し、マルホランドドライブや、ロッキーキャニオンを駆け抜ける様は当時のジミーの影響力とイメージを考えると相当の宣伝になったと思う。

そして、彼らは”el Diablo"へのオマージュでゼッケンを#13(悪魔の数字)で登録したかったけど、今よりも何億倍も保守なアメリカのオートモービルクラブでは受け容れず、しかたがなくジミーが”130”ブラッカーが”113”を付けることになったのも付けておこう

スピードスターにはそんなわけで沢山の思いが乗っかってる。

成功、栄光、反逆、反体制、保守への抵抗、独裁からの脱却、自由への道。アメリカ。

お手軽な若者のための車を作らなかったフェラーリやメルセデスにはこのセンスはなかった。

何故なら敗戦はしたが気位は捨てる必要がなかったから。

ポルシェは違う、明らかにナチスに荷担し戦犯とされて処刑されてもおかしくなかった。

戦後グロックナー峠を越えて、実家のあるオーストリアの山小屋で身をかくした。

息子と父、わずかな工員で博士としての誇りをもう一度立ち上がらせるべく、開発したんだ。

それが大国のとんでもなく大きな排気量の車をぶっちぎる。

ルーザーからの復活は50年代の物質時代へ入ったアメリカの若者の心を掴むのは想像できる。

さて、ワーナーからレース活動を禁止されていたジミーは結局スピードスターに550と同じカレラエンジン(カレラパナメリカーナ・メヒコから名付けられた4CAMエンジン)を搭載したモデルと手に入れても(ポルシェはこの当時カレラエンジンをのっける予定がなかったが、あのジミー様のオーダーならとわざわざ作ったのである。ポルシェは基本こういう呑気な営業理念であることは現在も証明していてワケワカラン個人の思い通りのカスタムポルシェがめっちゃある)3回しかレースには出れなかった。ただブラックボディに自身もブラックレーシングスーツは当然めっちゃくちゃ格好良く、ポルシェのブラックカラーがこれで流行ったのである。

で、最後、550スパイダーがたまたま売りにでて、ジミーは憧れを叶えたくスピードスターと引き替えにすぐに手に入れゼッケン130をペイントし、"LITTLE BUSTERD"と名付け

そしてサーキットへ目指す道すがらミッドシップにカレラエンジンのじゃじゃ馬が暴れ、向かってきたトラックと正面衝突しあっけなく死んでしまうのだ。

寄りによってこの事故で若者の暴走事故防止キャンペーンが始まるほどの衝撃と

ポルシェの名が一気に一般に知れ渡った。

ちなみにジミーのスピードスターも550スパイダーもレストアされて2億ぐらいで取引されてる。

成功、栄光、反逆、反体制、保守への抵抗、独裁からの脱却、自由への道。アメリカ。死。

どこか影があって世に拗ねたような態度と夢をのっけたスピードスターは

まさにアメリカンドリームの象徴である。そして、死がまとわりつく絶望でもある。

ぼくも、1番好きなポルシェはスピードスターだ。

だから、PVに使う時にどうしても辛口になってしまうけど、リリックも含めてMGKは良かった

レプリカなのも、許せた。

ホンモノってなんだよって時として思うしね。


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